活動

第81回学習会(平成24年11月22日)

日本のアーケード街・世界のアーケード街:熊本県立大学 辻原万規彦准教授

「アーケードを銀天街と言うのはなぜ?」

 11月の学習会は、アーケードについて、熊本県立大学の辻原万規彦准教授の講話。
アーケードは熊本の中心商店街のシンボルなのに、今までこれ自体を学習会のテーマにしようと思いつかなかったのは、その存在が当り前すぎたから? 今回、そんなアーケードの専門家が身近におられたことにまず驚いた。
先生のご専門は、環境(温度や光)とのことだが、アーケードの歴史についてもすこぶる詳しい。 先生のお話では、日本のアーケードのはしりは、昭和20年代から30年代半ばにかけての銀天街だそうだ。戦争が終わり金属を自由に使えるようになり、 アルミニウムの日除けを架けた通りが全国にでき、それはシルバーアーケードと呼ばれたらしい。文字通りの銀天街があったわけだ。 その後、合掌型、ルーバー型と10年ごとに流行りの形が変わり、今は上通・下通のようなドーム(ヴォールト=かまぼこ)型が主流。 明治期には、通り全体を布で覆って歩行者に日陰を提供する「日覆い」というものがあり、これもアーケードの原型と言えるものだ。 ただし、これは西日本で多く見られるのに対し、東日本では雁木(ガンギ)が多かったらしい。 その地域性が残っているのか、今でもアーケードと言えば西日本では全蓋型、東日本では片側型というイメージを持つ人が多いそうだ。
アーケードでこんな楽しい話ができるなんて、まちって面白い。研究って面白い。 

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